こんにちは。
ロシアのウクライナ侵攻が始まって、
もう10日になりますね。
連日のニュースを見ていて、とても悲しく恐ろしい気持ちになっています。
私は、被爆地である長崎に生まれました。
小学校の時、毎年夏になると、
長崎で被爆した方が学校に来て、
当時のことを語って聞かせてくださいました。
戦争を繰り返してはいけないと、平和を願う歌をたくさん歌いました。
「原爆を許すまじ」という歌は、
小学生の私には、なんだか怖くて、心を重くしながら歌っていました。
今も歌詞を暗唱しているくらい、記憶に残っている歌です。
戦争を繰り返してはいけない、平和は尊いということを、
世界中がわかっているはずの、この現代において、
まさかこのようなことが起こるなんて。
ドイツに留学していたとき、
音大には、さまざまな国から学生が集まっていました。
母国語がドイツ語でない学生たちが、
上手ではないドイツ語でコミュニケーションを取りました。
片言のドイツ語で話しながらも、
一緒にアンサンブルをすると、通じ合えたり。
本当に、人間ってみんな同じ人間なんだなあと感じたり。
でも、
色々な会話をしていくと、
やはり文化の違い、思想の違いを感じることもありました。
自分の国の歴史について話し出すと、とても熱意がこもってきたり。
生まれ育った国が違うんだな。
みんなそれぞれ違った環境、文化の中で育ってきたんだな、と感じることも多くありました。
ドイツ、フランス、イタリア、ニュージーランド、カザフスタン、アルゼンチン、トルコ、中国、台湾、韓国・・
そしてロシアも、ウクライナも。
たくさんの国の人たちと、ともに音楽を学んできた思い出を思い起こしながら、
今の信じられない状況に胸が痛くなります。
私は、ウクライナの友人はいませんでしたが、
ウクライナと聞くと、ある思い出が蘇ってきます。
以前、小話で、ディプロム試験について書きましたね。
その記事の最後の方にも書いた通り、
試験の最後の休憩時間の時、私はリードケースを落としてしまいました。
吹いていたリードはケースに入れていなくて無事でしたが、
現役のリードがたくさん壊れました。
それで、試験後、久々に練習しようと思ったら、
「わ!リード全部壊れてる!」ってなった、あの時ですね。
よりによってそのタイミングに、
一つ仕事の依頼が入ってきました。
Mindenという街の教会の、少年少女合唱団が、
クリスマスに因んだ曲を収録したCDを制作したいとのことで、
その伴奏オーケストラで吹く仕事でした。
試験終わって呆けてたら、仕事来て、
リードケース見たら、リード壊れてて。
どうしよどうしよ・・
と、昔のリードとかほじくり回して迎えたお仕事でした。
オーケストラは、デトモルトの学生を集めた、小編成のオーケストラ。
少人数の弦楽器に、
管楽器はフルート2本と、
オーボエ、クラリネット、ホルン、ファゴットが1本ずつ。
それに、ピアノ、打楽器などが入っていました。
録音技師も、デトモルトの学生が担当しました。
録音ということで、試験とはまた違った緊張感があって・・
私は、けっこう張り詰めて、吹いていました。
さて、
曲数が多くて、二日間にわたって録音したので、
mindenで一泊したのですが、
その時、オーケストラのメンバーは、数名ずつに分かれて、
合唱団の子どものお宅に泊めていただきました。
私は、合唱団の男の子のお宅に泊めていただいたのですが、
その時一緒に泊まったのが、
ヴァイオリンのウクライナ人女性でした。
1日目の録音が終わった夜、
男の子とそのお母さん、
彼女と私の四人で、軽食をいただきながら団欒しました。
男の子は、自分の名前を漢字で書いて欲しい、と言ってきて、
私が漢字を充てて書いてあげると、とても喜びました。
ベットが二つあるお部屋があって、私たちはそこで休ませていただきました。
疲れたのでしょう、ウクライナ人の彼女は、
先にベットに入ってすやすやと寝てしまいました。
私も寝よう、とふと彼女の寝顔を見たときに、
はっと息を呑みました。
あまりの美しさにです。
いえ、冗談を書いているのではありません。
透き通るような肌とその寝顔・・
これは・・白雪姫?眠れる森の美女?
本当に絵に描いたような美しさでした。
ウクライナ人って、こんなに綺麗なんだ・・って、
当時の私は、本当にびっくりしたんです。
それが、この録音の仕事の記憶とともに、すごく残っています。
彼女とはあまり多くは話さなかったですが、
凛とした女性でした。
これは、2004年10月のことです。
今、彼女がどこにいるのか、
デトモルトを卒業した後、どうしているのかわかりません。
きっと、今、この状況に、心を強く痛めていることでしょう。
どうか、無事でいてくれることを祈っています。
昨日、
寝る前に、「早く戦いが終わったらいいね・・」と私が言ったら、
娘が、「ロシアは、ウクライナが離れていっちゃうのが寂しいんじゃない?」
と言いました。
むかしソ連の仲間だった国々が次々と離れていき、
お隣で同じ民族のウクライナまで、離れていく。
そんな内容を、子供用の新聞で読んだのです。
「そうだね。寂しいのかもしれないね。」
思いがけない娘の言葉に、なんだか胸が痛くなり、涙が出そうになりました。
私も、侵攻が始まったときに、一体どうしてと、
侵攻に至った理由を知りたいと調べたりしました。
ですが、私には知り得ないようなどんな深い理由があっても、
戦争を始めることは、到底許されることではありません。
子どもたちが、悲しいニュースをみながら、
子どもなりに、どうして?と考えています。
当時制作したCDが手元にありました。
数年ぶりに聴いてみましたが、
子どもたちの純粋な歌声が心に沁みました。
何曲かアップしてみたので、
是非聴いてみてください。
静かなところで、イヤホンで聴くと、より臨場感が感じられますよ。
『It`s Christmas Again』
『Maria Durch Ein Dornwald Ging』
(いばらの森のマリア)
こちらは、オーボエのソロではじまります。
『Licht der Liebe』(愛の光)
ロシアの子守唄もありました。
クリスマスキャロルとしても歌われるようです。
とても悲しい感じの曲なのですが、
少年のまっすぐで純粋な声が心に刺さります・・
『bajuschki Baju』
最後は、ドイツの子守唄です。
暖かく穏やかな曲想と、
純真無垢な子どもたちの歌声です。
『Schlaf mein Kinderlein』
ウクライナに一刻も早く平穏が戻ってくることを、
世界の平和を祈ります。